白石城

動の歴史の中を歩み続けた 白石城 別名 益岡城

歴史背景

天正十九年(1591)豊臣秀吉は伊達氏の支配化にあったこの地方を没収した。

慶長三年(1598年)上杉領となり上杉家臣甘糟備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。慶長5年(1600年)関が原合戦の直後、伊達政宗は白石城を攻略しこの地方は伊達領となり伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後明治維新まで二百余年間片倉氏の居城となった。

お城の特徴

日本古来の建築様式に基づいて復元された木造三層櫓の天守閣からは市街が一望できます。

詳細
【 住所 】
白石市益岡町1-16
【 TEL 】
0224-24-3030
【開館時間】
9:00〜17:00(11月〜3月 9:00〜16:00)
【入館料】
大人300円 / 子供150円
白石城 白石城

白石城

白石城主 片倉氏とは

片倉家の実績を今に伝える、片倉家三代功績として次のような記述があります。

片倉家はこれまで伊達家の大難を三回救った。
一は祖父 初代 片倉小十郎影綱(1557〜1615)が秀吉の小田原征伐の時、政宗を説いて小田原参向を行わせたこと。
二は父 二代 片倉小十郎重長(1584〜1659)が大坂の陣において比類なき武勇を致し、伊達勢の手柄は日本一と徳川家康をはじめ天下に認めさせたこと。
三は三代 片倉小十郎影長(1630〜1681)が寛文事件という伊達家の大難を救ったことである。


白石城にまつわるおとぎ話 白石女敵討の物語

1636年頃、白石城下の話。
百姓与太郎が二人の娘と田の草取りをしていたところ、たまたま通りがかった城主片倉家剣術指南・志賀団七の袴に泥がかかり、与太郎は無礼打ちされてしまいました。
二人の姉妹は父の仇討ちを誓って、江戸の武芸者油井正雪に門下に入り腕を磨き姉は鎖鎌、妹はなぎなたでついに仇の団七を討ち取りました。




片倉家中旧小関家 武家屋敷 宮城県指定文化財 片倉家臣団の気風を今に伝える

片倉家中旧小関家 武家屋敷

宮城県指定文化財の片倉家中武家屋敷は後小路にたたずんでいます。白石城北、三の丸外堀に当たる沢端川に面した町並みで、中級武士の屋敷があったところで、現在も静かな住宅地です。
この屋敷は、17161年の白石城下絵図に『小関右衛門七』とあり鬱蒼とした庭樹でおおわれ、前面、側面を清冽な水流が巡り、景観にも優れたものがあります。 平成3年(1991)に母家・門・塀は小関家から白石市に寄贈されたのを機に全面的修復されました。

詳細
【 住所 】
白石市西益岡6-52
【 TEL 】
0224-24-3030
【開館時間】
9:00〜17:00(11月〜3月 9:00〜16:00)
【入館料】
大人200円 / 子供150円


白石城下 小十郎めぐりコース

旧奥州街道や旧町名が併記されており、白石の歴史めぐりを楽しめるように工夫してあるコースです。

白石の歴史めぐりコース
延命寺
延命寺

明治維新以降に白石城のうやまぐち門を移築されたという山門がある。白石城の本丸を北側から守る重要な防御拠点だっ たといい、山門らしく改造されてはいるものの、往時をしのぶことができる。

片倉家御廟所
片倉家御廟所

3代目片倉景長によって改葬されたもので、初代から9代までの白石城城主と7代目夫人・お郷姫の10体の阿弥陀如来像が並んでいる。小高い場所にあり、白石市内を一望できる場所でもある。


白石城 歴史探検ミュージアム
白石城 歴史探検ミュージアム

公園内には初代景綱の没後300年を記念して建立された頌徳(しょうとく)碑もある。

常林寺
常林寺

桜の名所として有名であるが、ここには白石城にあった時太鼓が保管されている。


清林寺
清林寺

真田家ゆかりの寺。遺児を慕って白石に移住した真田家家臣によって建立されたと伝えらている。

傑山寺
傑山寺

片倉家の菩提寺である傑山寺。片倉家歴代の奥方、松前家なでの墓があるほか、初代景綱の墓標といわれている樹齢400年の一本杉がある。


当信寺
当信寺

白石城東口門を山門として移築された。幕末にはこの門の2階部分に太鼓を置いて時を知らせた。音が響くように2階中央の表と裏には大きな『眼像(げんじょう)窓』、側面にも丸窓がついており今なお往時の面影を残している。

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レンタサイクルのご案内

白石蔵王駅、白石駅にある白石市観光案内所、白石市歴史探検ミュージアムで受付している。
時間は午前9時〜午後5時まで(返却時間が午後5時)で保証金として500円が必要(返却時戻ってくる)
【 問い合わせ 】 白石市観光案内所 (白石駅内 0224-−26-2042)