宮城県 遠刈田温泉 歴史

遠刈田温泉の歴史に触れながらめぐる、おすすめ観光スポット

遠刈田温泉には見どころが盛り沢山!遠刈田温泉にお越しの際には、ぜひこちらもご覧ください。

刈田峰神社

刈田峰神社

刈田峰神社は遠刈田温泉『神の湯』から徒歩1分の所にあります♪
蔵王刈田峰神社は嶽之坊(だけのぼう)を前進とする神社です!!

嶽之坊は、蔵王参詣表口に位置し、お山参りが流行った頃は多くの参詣者を山頂の蔵王大権現 へと導く役をしました。

【嶽之坊(だけのぼう)】
嶽之坊は願行寺の小寺の中の1つ(48あった子院の大半は火事で焼けてしまいました.....)
嶽之坊は蔵王山参詣の表口として統括することになり、修験者の修行の場であった蔵王山はいつしか庶民の参詣の場へなりました。

【蔵王信仰】
蔵王と呼ぶ山は古くは神山として崇められていました。
昔から信仰の対象であり続けた、人々の心の山なのです。
御山詣りは江戸から明治・大正そして昭和まで盛んに行われました。

明治5年には神仏分離令の影響を受けて嶽之坊と蔵王大権現は合一し、明治8年に蔵王刈田峰神社と改めました。
(蔵王町歴史より引用)

遠刈田温泉が発展するきっかけとなった蔵王参詣。
古式にならい、遠刈田温泉にお越しの際にはお参りしてはいかがでしょうか?


遠刈田温泉湯神神社

遠刈田温泉湯神神社

元禄8年(1695年)湯守り大沼久兵衛が、湯神の加護霊湯として神の有難さを身をもって知り、四十八戸の住民共々権現山(表面の山)の中腹に蔵王湯神の石碑を建立し、、、、
以来毎年『湯神祭り』を行って来ました。

その当時より正に万病を癒す霊湯として、神仏の大いなる恵と受け止められ近隣近在の湯治客のみならず、全国の人々にまで親しまれて現在に至ってます!

また、、、、伝記によると噴出する熱湯にも似た熱い一杓の温泉に託し、尊像にかけ諸願成就、万病万癒のご利益があると伝えられています。

毎年7月の土用の丑の日には、遠刈田温泉旅館組合によってお湯かけ祭りがおこなわれます。




五輪堂

五輪堂

むかし、京の都に三条盛実(さんじょうもりさね)というお公家(おくげ)さんの娘で、おまんというお姫さまが暮らしていました。

姫は幼いころ疱瘡(ほうそう)をわずらい、顔にあばたがありました。
ある晩、夢枕に神様が現れて「奥州遠刈田山麓の炭焼き藤太の嫁になれば幸せになれる。」と言いました。姫は乳母一人をともなって遠刈田におもむき、藤太の嫁になりました。

あるとき、貧しい藤太の暮らしを見かねた姫が持参した金を渡したところ、藤太はこなものなら炭窯のところにいくらでもあると言います。
姫が見に行くと一面に金が落ちていました。

姫は藤太に金の価値を教えさらに夫婦で岩崎山を開発し努力したため大長者と成り幸せな暮らしを送ることができました。


姫とともにやってきた乳母はその後もずっと姫に仕え続けましたが、「もし、あばたや疱で困った人がいたら私の墓にお参りして下さい。」と言い残して亡くなりました。姫は乳母のお墓として五輪塔を立てました。

今でも、その墓に参るとたちどころにあばたや疱が治ると言い伝えられていて、訪れる人が後を絶ちません。
また、いぼやにきび等の肌荒れを治してくれる『美肌の神様』 といわれ、女性にはうれしいパワースポットです♪♪
昔からお供物として生卵を5個供えるといわれていますので、ぜひお供え物をしてみてください。


岩崎山金山伝説

岩崎山金山伝説

関が原の合戦のあと、仙台藩の大名となった伊達政宗は、62万石の大藩にふさわしい大きな城の建設にとりかかりました。
その城こそ、仙台青葉山の仙台城です。

正宗は、仙台城築城の資金とまかなうために、岩崎山に眠る金に目をつけました。蔵王の山の神に願をかけて採掘をはじめたところ、願いが天に通じたのか、金山は巨万の黄金 を産し、その質も他に並ぶもののないほど上等なものでした。

政宗は喜び、この黄金を、当時の年号にちなんで、「慶長金」と名付けたということです。

ところがある日、坑道の中でたくさんの水が噴き出してきて、何人もの人夫が犠牲になってしまいました。
水のためにこれ以上掘り進むこともできず、やむなく金山は廃坑となったといいます。

後になって、坑内に三十三観音の像がまつられましたが、これは、この事故の犠牲者を供養するためまつられたものだと伝えられています。

(岩崎山金山にまつわる言い伝えより)
平成11年3月31日設置  蔵王町