真田幸村ゆかりのスポット

▲真田幸村公肖像(部分)
仙台真田氏宗家に伝来する真田幸村公の肖像画。同じポーズの肖像画が複数確認されていますが、御当主の真田徹氏曰く「うちの幸村が一番ハンサム!」
(真田徹氏所蔵・小西幸雄氏写真提供)

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わたしたちの郷土と真田幸村の血脈との関係は、慶長20年(1615年)5月6日の夜、伊達政宗隊の先鋒片倉重綱の陣にひそかに真田幸村三女阿梅が送り届けられたときからはじまりました。
今を遡ること390余年という歳月の中で、郷土の随所にいくつもの足跡が残され、今日に伝えられています。このページでは蔵王町と白石市、そして石巻市に遺されている仙台真田氏にまつわる遺構をご紹介します。『仙台真田氏の足跡』をお楽しみ下さい。

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我妻佐渡墓碑(蔵王町)

刈田峰神社

『郷土史の通説を覆すか? 幸村遺子の護衛役の墓碑』

当地方では類例がない珍しい形態の墓碑で、地元では『隠れキリシタンの墓』ではないかという説もありました。碑面は、棟部に刻線二本と鈎状の彫り、棹部中央は梵字5文字、その下に『為 我妻佐渡菩提也』と刻まれます。左は『万治三天八月拾六日』、右は『乃至法界平等利益』。梵字は上から『空・風・火・水・地』の五行を表現しており、この墓碑に五輪塔的な意味合いを持たせていることがわかります。

【所在地】
蔵王町大字曲竹字妙見
(ミヤコーバス「曲竹」停留所から徒歩5分)

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真田幸清筆子塚(蔵王町)

刈田峰神社

『仙台真田氏と真田幸村の関係を公にした、記念すべき遺構』

仙台真田氏第八代当主幸清は、実は仙台真田氏分家信知の長男です。文化6年(1809)、宗家の七代目当主信凭が病没、後継がいなかっため宗家の養子となり家督を相続しました。

安政2年(1855)、幸清は刈田郡矢附村の真田氏在郷屋敷において寺子屋『真田塾』を開きます。科目は読書と習字、文久2年(1862)の時点で門弟50名が在籍していました。真田塾の開校期間は8年間で、文久3年(1863)に閉校しました。幸清の筆子塚は、明治4年(1871)幸清の没後、真田塾の門弟たちが建てたものです。

【所在地】
蔵王町大字矢附字川原畑
(ミヤコーバス『松川橋』停留所から徒歩10分)

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真田豊治墓碑(蔵王町)

刈田峰神社

『幸村十一世』と刻まれた、仙台真田氏分家当主の墓碑』

仙『幸村十一世』と刻まれる。仙台真田氏分家の代数でいえば、豊治は六〜七代目にあたります。幸村から数えても九〜十代目です。この墓の近くに真田幸清筆子塚があり、そこには『左衛門佐幸村十世』と刻まれています。豊治は幸清の弟幸親の子(養子)であることから、幸清の代数に一代加えて十一世としたものと思われます。

【所在地】
蔵王町大字矢附字舘
(ミヤコーバス『松川橋』停留所から徒歩10分)

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遠刈田温泉の歴史に触れながらめぐる、おすすめ観光スポット

真田幸村墓碑(白石町)

刈田峰神社

『幕府の警戒を恐れたか? 幸村の墓碑は無銘の自然石』

仙台真田氏は、江戸時代には真田信尹(さなだのぶただ)の後裔を称していたので、幸村の墓を建てることはできませんでした。しかし白石城内で養育された幸村の女子たちは、ある程度公に幸村の菩提を弔うことができたようです。慶安元年(1648)、三女阿梅(おうめ)が幸村の菩提所として月心院を建立しました。また、白石城下当信寺に墓碑を建立したと推察されます。

【所在地】
白石市福岡蔵元 田村家墓所内
(ミヤコーバス『蔵元』停留所から徒歩5分)

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その他(宮城県内)

白石市


石巻市



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